1、幼少時代の父からの虐待

 

 幼少時代、共働きだった両親であったが、母が遅くなると、子供は母が恋しくて泣くものである。

 

 すると、父は、子供をあやすどころか、うるさいからと殴っていたということを、後に母の母である祖母から聞いたことがあった。

 

 その殴り方があまりにひどいので、祖母は幼かった私を外へ連れ出して、泣き止むまで毎日のようにあやしていたということだ。

 

 毎日のようにあやし役をやらされたら、祖母の方も大変であったであろう。

 

 今でなら完全に幼児虐待であるが、当時はそれでも許されていたところが、父の虐待を増長させる要素になっていたと考えられる。

 

 これで、父に愛情など涌く訳もなく、私の幼少の記憶には、一番に祖母がいて、次に母と来るが、父の顔は浮かんでこない。

全体の構成

1、幼少時代の父からの虐待

 

2、少年時代の父への反抗

 

3、父の価値観に縛られつつあった中学生時代

 

4、行きたくなかった進学校に入り、とてつもない競争を強いられ、精神を病みつつあった高校時代

 

5一浪して人並みに自慢が出来る大学に入るが、自分としては挫折感が大きかった大学時代

 

6、体育会の部活に入って抜けられなくなり、ゼミも忙しいものを選んだので、精神的な無理が大きくなる。

 

7、大企業に就職するが、古い職場の体質に合わなくて、1年半で辞めることになる。

 

8、大学院に入るが、ゼミの指導教授が派閥で選ばれただけで能力がなく、やがて、考え方の違いで衝突することになる。

 

9、大学院を辞めると学位がもらえないし、いつも緊張感を強いられる指導教授との論争だった。

 

10、独自の意見を述べた論文を書いたら、博士課程を3度も落とされた。

 

11、さすがに心労が募って発病することになる。

 

12、苦しみながらも養生をしていると、少しずつだが快方に向かっていた。

 

13、家にニートの兄がいるが、母に暴力を振るうので、警察を呼んだら、母が驚いて警察を返してしまった。

 

14、40以上のニートがいる家庭で、引きこもっている対象を社会に復帰させる団体もあったりするので、まさにチャンスだったのだが、母は自分でチャンスを潰した。

 

15、よりによって、警察に通報した私が精神障害者だから、発言に信ぴょう性はないとか言ったらしい。

 

16、おかげで私は、警察にマークされることになる。

 

17、当然、意味もなく捕まる。

 

18、長兄は私を一生ずっと病院に入れろと主治医に迫り、母は家から追い出せと画策した。

 

19、間に挟まれた私は、かれこれ1年にわたって病院に入ることになる。

 

20、主治医曰く、君は2週間で出られたよ。

 

21、そろそろ1年が経つので、どうしようか思案している。

 

 こんなところです。